人間関係での新たな課題・前半

「金の切れ目が縁の切れ目」のことわざを地で行く結果になりましたが、
自己啓発セミナーとの関係は、ぶっちゃけて言えば、
お金でつながっている関係でした。
お金が底をついた時点で関わらない方向に自然と向いました。

昔から物事に対して飽きっぽい性格でしたので、
今から思うと、その決断で良かったように思います。
時間と距離を置くことによって、少しずつ目が覚めてきました。

「絵に書いた餅」というか、”自分のビジョン”という”夢”や”幻想”を
いつまでも追い求め、セミナーに参加し続けても際限がない、
そんな心の動きの変化が顕著になりました。

アルバイト生活では収入には限界があり、
目の前に付き尽きられた、家族を養う生活費をどう捻出していくのか、
という現実問題が出てきました。

生活費を支えていく収入が必要となれば、正社員、 サラリーマンとしての
選択肢しかなく、近くのハローワークに仕事先を探す事となりました。

次の仕事を選択するにあたり、私には2つの条件がありました。

1つ目は、”陶芸家になるビジョン”を待ち続けたい、
という事でした。

つまり、正社員しとて仕事をしながら、陶芸教室に通い続け、
いずれは自分で作陶したい、という願望を実現したかったのです。

2つ目は、ノルマや多くの人間関係を必要とし、
業務が雑多で多岐に渡る仕事は避けたい。

つまり、前職のB社の営業のような仕事はしたくない、
という条件でした。

そんな自分の都合というか、前提に選んだ仕事が、
塗装調査が主体のT社でした。
T社長と事務の社長夫人だけの家族経営の小規模な会社でした。

結果的にすべてにおいて、B社の営業時代の反動からか、
正反対の仕事を選んでおりました。

ハローワークの仕事内容の説明で、
「自然の中で、仕事してみませんか」というようなフレーズに
惹かれたように記憶しております。

入社してから当然わかった事ですが、”自然の中”とは地方の山奥へ出張して、
現場仕事という内容でした。
山歩きをしたお陰で、基礎体力の向上に役に立ったことは、
とてもありがたかったです。

また、地方出張以外の出勤日は、事務所での内勤業務で、
家計の負担を少しでも軽くするため、そして私の健康面で、
妻が毎朝、お弁当を作ってもらった事は、とてもありがたかったです。

このT社には、3年半程在籍していたのですが、
私にとって色々な意味で学びと経験の多かった期間だったように思います。

T社での在職期間を冷静に見ると、浮き彫りになってきます。
入社1年目は、仕事の内容に関しては、知らない事ばかりでしたから、
1日早く仕事を覚えようと、 わからないことはどんな些細な事でも、
T社長に聞いていました。

人間関係において、お互いのことを知らない所から始めている
訳ですから、ある意味では、気を遣いながも、
反面、気が楽な所もあり、”仕事が楽しい”と感じられた時期でもありました。

しかし、この “仕事が楽しい” というのは、私だけの主観であって
T社長の頭の中には私とは別の考えがあったようです。

似た者同士という言い方は、十年以上も年上のT社長に失礼かと思いますが、
不器用な性格的で視野の狭いところが似ていたように思いました。
双方とも”物を言うにしても言葉足らずの状況”、
つまり”コミュニケーション不足”だったということです。

たがら、お互いに距離を置いて、ぶつかり合うのを避けていた、
または恐れていたのかもしれません。
本音が言えぬまま、時だけが経過していきました。

それを物語るかのように、私は仕事を覚えるにつれ、
T社長と話す時は、事務的で形式的な範囲で済ますように
少しずつ変化していきました。

” 一番身近な存在であるT社長に本音が言えない”、

そんな自分の気持ちを抑え込むことが、
いつしか当たり前のようになっていきました。
元々の性質だったのか、既にマヒしていたのか定かではありませんが、
心が辛いとか、苦しいとか、それさえも感覚としてなかったように
記憶しています。

この時、 どんどん気持ちを抑え込むことによって
自分が最後にどうなるかなど、みじんも思っていませんでした。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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