人生をあきらめている方へ
私より年代が上の70代以上の方で、
残りの人生をあきらめている方、
厭世的になっている方と、
たまに触れ合う機会があります。
「寂しい」「やることがない」
「死ぬのを待つだけ」
「パチンコだけが唯一の楽しみ」
「ヒマだ」「時間を持て余す」
というように限定的な羨ましさを感じ反面、
前向きな言葉は一切出てきませんし、
“自暴自棄にも近いもの”も感じられます。
それらの言葉に対して和らげる言葉を
返すように意識していますが、
手を差し伸べる以前の状態なので、
結果的に愛想程度のことしか返せません。
ほとんどの場合、話はそこから進展せず、
本音に全く触れることなく、
身近な世間話、仕事話など、
日常の話題へとなっていきます。
しかし、私の心の中では一連の流れから、
何か引っ掛かった感じで、
常に燻ぶっているモノがありました。
「本当にそれでいいのか!」
あくまで他人のことなので、
そこまで首を突っ込む必要など
全くないとわかっていながら…
そうとわかりつつも、
「このまま放っておけない!」
そんな情が何故か湧き出てくるのです。
情という想いも見方を変えると、
愛と言えば確かに愛なんでしょうが…
皮肉にもその流れの最後は決まっいて、
「私の力ではどうにもならない」という
“無力感”に苛まされるパターンに陥り、
“無関心な方向”へと変化していくことに
なるのです。
その感覚は正直、気持ちのいいものではなく、
同じようなことを繰り返しているのを
認識しているから、たちの悪い性癖の一つ、
と思っています。

ところが、心の中でそんな回り道をしながらも
結果として本来の自分に立ち返った時、
“自分が何をしなければならんないのか”、
幸いにも“原点回帰”に向かったことで、
徐々に先のことがうっすらと観え、
自分でも何故だかわかりませんが、
タイミングよく行動に移すことが
できるのです。
私なりにその時点の心境を観察すると、
いたすら目の前のことに集中して、
余計なこと(心配、不安、評価)を考えず、
極めてシンプルで単純なことですが、
実際に向き合い、取組み出していく過程で、
できることもあれば、できないこともある、
それをひとつひとつ乗り越えていく、
クリアーにしていくことで、
結果、ほんの少しでもいいから、
自分自身が進歩したい、成長したい、
そんな細やかなで謙虚な気持ちが
とても大切だと思っています。
ただ、悲しいことに冒頭に記した
前向きとは受け取れない言葉の表現のように、
現実世界での出来事に翻弄、執着してしまい、
本来の人生の目的を忘れてしまっている方も
居られることも事実なのです。
私とのご縁がある限り、単に無力とか無関心とかの理由で
そのような方を遠ざけるのではなく、
その場に私が居る以上、きっとお役に立てられるという、
私の役割、使命が在るという認識を持つことを忘れず、
私自身の“在り方”を示していきたいと思っています。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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