真の人生を歩んでいくには Part2

行いのヨガであるカルマ・ヨガを現実生活の中に取り入れていくに当たり、
その注意点について触れていきたいと思います。

カルマ・ヨガは、自分が現実として直面していく、
「人」「事」「物」に対しての向き合い方が基本となります。
それらの対象について自分の意識がどのように向き合うかによって
内面が逐次変化していきます。

ただし、カルマ・ヨガを実践したからといって、
その結果や成果、効果といったものを自分で正確に判断、
ジャッジすることはできません。

また、家族や仕事仲間など近くに居る周囲の人たちからは、
すぐにその変化に気づく可能性は低いと思います。

つまり、カルマ・ヨガを実践することに対して、
見返りとか、成果や結果とかを当てにしない、期待しない、
という謙虚な姿勢が大切なのです。

要は私たちの頭の中で考える思考などの範疇では収まらず、
とても予測通りにことが運ばないということです。

率直に言うならば、“期待せず”、”執着せず”、”囚われない”
という『自由な姿勢』が維持できるかどうかが鍵となります。

私たちは社会生活を通して知らず知らずの間に、
成果主義、実績主義、成功願望などを追い求めて、
その考え方にどっぷり浸かっているため、
余程、自分の意識に注意深く観察していかないと、
“期待”、”執着”、”囚われ”の想いが出てきてしまいます。

期待”、”執着”、”囚われ”という我欲を動機や目的として
カルマ・ヨガを行った時点で、それはカルマ・ヨガではなくなります。

カルマ・ヨガとは、”行い、行為をするそのものが本来の目的”で、
そこに人の想いである、”期待”、”執着”、”囚われ”という想念が
介入することで、ヨガの本質である、宇宙や自然との合一化、一体化を
妨げる要因となるからです。

そんなの楽しくない、面白くない、興味がわかない、
ワクワク感・充実感が味わえない、つまらない、
というような声も聞こえてきそうですが…

確かにそうとも言えますが、ただし、そのような想いは、
どちらかというと表面的で人間的な視点で見た場合とも
言えるかと思います。

つまり、“人間の思惑の中で行われる行為”というのは、
カルマ・ヨガの本質から、かけ離れてしまい、
中身が形骸化してしまう可能性が出てきます。

ですから、「何のためにカルマ・ヨガをするのか」という動機に基づいて、
カルマ・ヨガの本質を極めていくのであるならば、
人間的な視点とは異なる、宇宙や自然、神というような
“大いなる存在”、言い換えるなら、”普遍意識”、”全体意識”とも言われる、
人智を超越した叡智の領域に焦点を合わせていくことが
最も大切になってきます。

カルマ・ヨガは、この地上で人間だけが持つ、
想い、言葉、行動、という3つの要素から成り立ち、
それぞれどのように関わるかは各自で思考を深めて、
工夫と努力を積み重ねていくしか方法はありません。。

心と愛を込めて丁寧に精一杯集中して行なうことが
前提となりますが、想い、言葉、行動、それぞれに
より深く細心の注意を払うことも不可欠な要素となります。

特に人は想いから、言葉や行動へ移行していくので、
心の中で想いが起きた時、
つまり、目の前にある「人」「事」「物」という事象に対して
心の中で”反応”が起こった時、

客観的に、冷静に注意深く心を観察することで
“その反応に気づける”ようになります。

このように、反応に気づく、それをさまざな事象と向き合い、
繰り返すことによって、心にゆとりや落ち着きといった
リラックスな状態が生み出されます。

心がポジティブで前向きな状況となりますので、
次第に事象に対してよりベストな対応や識別が可能となります。

しかし、そのためにはカルマ・ヨガを始めるに当たり、
まず各自がその動機、目的をしっかりと明確に定めて
“自覚すること”が最も必要な条件となります。

ここまで読まれて捉えようによっては、
少々キツイ、厳しいと受け取られる方もいるかと思いますが、
裏を返せば、カルマ・ヨガという行法は短期間で身につけられ、
そこで終わるというものではなく、生涯をかけて実践し続ける、
そのような“覚悟”が必要になってきます。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
ご興味、ご関心を持たれましたら、
このブログの感想のコメントを一言でも頂けたら今後の励みになります。
どうぞよろしくお願い致します。

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