内観の真意Part3
これは人生の永遠のテーマなのかもしれませんが、
「自分の心を制御もしくはコントロールする」
というのは可能なことなのでしょうか?
そのようなことを言う私も日々の生活や仕事に追われ、
現実的には焦点を当てているという自信も確信も
皆無に近いくらいのレベルのため、
不可能の一歩手前のように思えます。
しかし、だからと言って完全に諦めたわけではなく、
わずかでも可能性がある以上、
「最後まで最善を尽くしていきたい」
そのことを心掛けて生きています。
精神哲学めいた内容になりますが、
時々、人生を振り返っえって観た時、、
「この世に生きる本当の意味は何なのか?」
「生きる原動力はどこに在るのか?」
「なぜ、諦めずに生きていられるのか?」
「何を人生に求め望んでいるのか?」
そのような“自分に対する問い掛け”を
袋小路と思えるような苦境に陥った時、
自分を見失い、生きるヒントも見出せなくなった時、
何度も心の中で神や仏に縋るかのように
唱え続けてきたように思います。
一方、家族や親族、ご近所の人たち、
仕事や個人的にお付き合いのある方々など、
現実の日常で人との関わりがある中では、
上記のような“霊的真理の本質”に触れる機会は
ほとんどありません。
仮に触れることがあったとしても、
どうしても現世のこと、唯物主義が中心で、
無関心、もしくは全く興味のない話題となり、
本気で真剣に考えている方に出会ったことは
ありません。
それは見方によっては、孤独感、疎外感に陥り、
最終的には絶望に行き着き、心が落ち込んで
うつになるのでは、と思われるかもしれませんが、
たとえ気分的、精神的に落ち込むことはあっても、
どうにかして“立ち直る”ことはできています。
ただ、最近になって気づいたことなのですが、
その”立ち直るプロセス”が以前の感覚とは
違ってきたように感じられるのです。

過去のブログでも触れていますが、
これまで、カルマ・ヨガ、マントラ、瞑想、
ゆるしの実践など、収得したメソッドを駆使しての
“心の転換”という手法が中心でした。
確かに“心の転換”を目的とした、
自分の心の反応に気づくことによって、
心の修復へとつながっていったのは、
実感とともに確信に至ったことですが…
より心を深く観察していくと、
潜在意識の中に埋もれ持ち続け、
長年の価値観や固定観念によって強化された、
“想い癖”、”正当化癖”、”抑圧癖”などは、
解放するまでには至らなかったように思います。
そんな今まで経験したことのない、
難関の壁にブチ当たって前進を阻まれると、
自我意識では“諦めるしかない”と思いがちですが、
魂レベルでは“成長したい”という想いがあり、
どうしても葛藤が生じることになるわけです。
心の中で起きていた変化を文章で表現するのは、
改めて大変難しいと思い感じつつも、
私にとって、挑戦、宿命、カルマであり、
前回、前々回のブログで書いた中核だったように
思います。
振り返ってみると、最終的に“成長したい”
という魂の想いを、自我意識の思考を利用して、
“どのように向き合い、受け容れるていくか”、
その一点へと絞られていきました。
自分の心、内側に意識を向け続けていくことで、
潜在意識の中に埋もれた、
“想い癖”、”正当化癖”、”抑圧癖”などを、
時間と労力をかけながら、顕在意識下へと少しずつ
炙り出すように、もしくは浮き上がらせるように、
作用させていくわけです。
とても根気と忍耐のいることではありますが、
実践を重ねれば重ねるほど、
『内観グセ』と表現できるくらい、
充分手ごたえがあり、価値のある手法だと
感じています。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
ご興味、ご関心を持たれましたら、
このブログの感想のコメントを一言でも頂けたら
今後の励みになります。
