さらばマンション管理員 PART2

2社目のマンション管理員を辞める理由は、
“坐骨神経痛の発症”でした。

所属会社の社員やマンションの住民など、
退職理由として、それで十分でした。

その一方で、実は心情的な理由が3つありました。

1つ目が所属会社と住民との“板ばさみ”になる
可能性が出てきたことです。

会社の担当者のフォローが不十分なため、
その状況をカバーしていくに連れ、
住民寄りの傾向が強くなってきたため、

会社の一員としての役割に対して、
違和感を持つようになり、
自分の立場をコントロールしていくことに
限界を感じるようになったからでした。

2つ目の理由は、私が感じる雰囲気、波動という
観点での個人的な主観からです。

マンションの住民には、思いやり、優しさという、
愛は感じられましたが、それは“執着愛”でした。

一方、所属会社の社員には、距離感を通じて、
愛とは異なる“ドライな集団意識”で、
“冷たさ”のようなものを感じました。

いずれにせよ、私自身の努力とは裏腹に、
同じような価値観の考え方の方向性を
見い出せなかったことは事実です。

3つ目は、“やり遂げた感”でした。

2社目の勤務期間は、わすか1年8ヶ月でしたが、
この期間の仕事の内容を振り返ると、
これまで経験したことのない数々のトラブルや
事象が起こり、対応や処理に追われました。

ただ、振り返ってわかったことなのですが、
現象面では明らかに異なるものの、
視点を本質へと移すことによって、

“すべて同じである”ということが
わかってきました。

もし、勤務を続けていて、
新たに何かトラブルや事象が起きても、
ある意味、“見切っている状態”に近い感覚で、
同様の対応や処理をすることになり、

また、長く勤務すればする程、
“慢心”という厄介なモノが出てくる
畏れがあるので、

「もう、この現場を離れてもいいかな」
と思うようになったのてす。

心情的な理由は以上の3つですが、
それと同時に13年間の経験を通して、
“さらに深い学び”もありました。

それは、下記に書かれている詩の内容と
私の経験が見事な程、重なることに
改めて気づけたのは大きな収穫でした。

『無名兵士の言葉』

 大きなことを成し遂げるために
 強さに求めたのに 謙虚を学ぶようにと 弱さを授かった。

 偉大なことができるようにと 健康を求めたのに
 より良きことをするようにと 病気をたまわった

 幸せになろうと 富を求めたのに
 賢明であるようにと 貧困を授かった

 世の人々の賞賛を得ようと 成功を求めたのに
 得意にならないようにと 失敗を授かった

 人生を楽しむために あらゆるものを求めたのに
 あらゆることを喜べるようにと 命を授かった

 求められたものはひとつとして与えられなかったが
 願いはすべて聞き届けられた
 私はあらゆる人の中で 最も豊かに祝福された

 〈作者不詳〉

この詩は「人生を最後に振り返って思う」という、
私なりの個人的解釈とともに、
状況設定を勝手にしていたのですが、

恥ずかしながら、それは“思い違い”もしくは
“勘違い”であることが、今回わかったのです。

つまり、マンション管理員として13年間、
勤務している時でも、この詩の内容のことが
常に示され続けていて、

私にとって絶妙なタイミングで、
もう辞めようと“心の整理”をした時、
そのことにようやく気づいたのです。

私の人生で二度とできない貴重な経験を
させてもらったと同時に、
“ひと区切り”がついたという
確信に至ったように思います。

そして、この13年間は、
私にとって「人生の縮図であった」と言っても
過言ではないと思っています。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
ご興味、ご関心を持たれましたら、
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