憂うつ、自己喪失感から逃れたい・前半

20代最後の年、入社8年目に異動を言い渡され、再び大阪支店営業1課に戻り、
セールスマンとして配属になりました。

営業1課の受注チームでの経験、 営業3課百貨店ブロックでのセールスマン経験、
この2つの過去の経験があっても、営業1課のセールスマンは、
いざ中に入ってみると勝手が違っておりました。

営業1課の得意先は、食品の問屋さん相手でしたのと、
卸売のため、営業3課の百貨店相手の営業部隊とは、
得意先件数と売上げ金額ともケタ違いの大きさでした。

さらに営業1課のセールスマンは、一人一人の個性と
プライドが強く、気の弱い私は最初から引き気味の状態でした。

配属された当初は、東京へ転勤された方の後釜で、そのまま得意先を引き継いだため、
得意先の規模や件数、 売上げ金額も他の先輩方と比較すると少なく、
何とか仕事をこなすことができました。

ところが、一年後にチーム長のK係長が大手得意先へ出向となり、
チーム編成が大きく変わってしまいました。

その結果、私は得意先件数と売上げ金額とも従来の2倍近くとなり、
しかもクセの強い得意先を新たに数件担当したため、
心身ともに限界を超え、精神的に参ってしまいました。

その頃、結婚して1年後に長女が生まれたのですが、
誕生の確認のため、最もクセの強かった得意先W社の敷地内にあった公衆電話から
産婦人科病院へ電話をかけたことを今でもハッキリと覚えております。

その時の私の心境は、初めての子供が生まれ嬉しさと
仕事がらみの憂うつさが同居した何とも言えぬ複雑な想いでした。
不器用な性格上で気持ちの切り換えが下手なことと、
気分が落ち込みやすい傾向は今だに変わっていません。

この会社にいた時、先輩方から幾度となく、
仕事とは別に趣味を持つように言われておりました。
でも結果的に持てませんでした。
心にゆとりを持てなかった私自身に問題があったので、”後の祭り”ということですね。

営業3課百貨店ブロックの営業部隊の時は、よくI係長から、
終業時のベルが鳴って、
「これから”社外ミーティング”を行なう。」の号令のもと、
R氏、Z氏、私の3人を引き連れ、近くの居酒屋に行き、
“飲みにケーション”の展開となりました。

今から思えば、それが私にとって“唯一の息抜き&ガス抜き”でした。
そのおかげで、モチベーションも何とか維持できたと思います。
残念ながら、営業1課の皆さんとは、
“飲みにケーション”の機会が少なかったように思います。

ただ救いだったのは、営業3課百貨店ブロックの営業部隊で私をサポートしてくれた
兄貴分のZ氏が営業1課の係長兼セールスマンとして後日異動になり、
私の上司として配属されたことでした。

正直な気持ちとして、
“味方が1人できた!”感じで安心感が出たのを覚えています。

客観的に観察できる今だから言えることなのですが、
この当時の私の想いは、

「現実から逃れたい!」

ということだったように思います。

自分ではどうにも対処できない状況が次から次へと起こり、
上司に相談したとしても、問題解決の糸口がつかめず、
時の経過とともに、ますます泥沼化していった状況でした。

皮肉なことに「現実から逃れたい!」 という想いとは裏腹に、
自分自身で自分の心をどんどん追い詰めていったように思います。

『 自分の心は、自分にしか救うことができない 』

この時期はその真実を知る由もなかったということです。

『無知であるが故の無明』

まさに、その言葉が当てはまる状況だったように、今、思います。

つまり、“真実の自分の姿(心)を自ら観ようとしない以上、
問題解決の糸口さえもつかめない
“、
ということだったのです。

さらに突っ込んで言うならば、

「問題と思われる事象を次から次へと創り出しているのは、
他ならぬ自分(自我意識)である」、

と言うことです。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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