『100%自分の責任』を識る・前半
B社大阪支店営業3課の百貨店ブロックは、
受注チームには人事異動がありましたが、
営業部隊はしばらくの間、I係長、R氏、Z氏、私の4人の体制で
落ち着いた状況が続きました。
私も仕事に慣れた事は良かったのですが、
セールスマンというポジションゆえ、社内では売上げのノルマや入金管理、
得意先からは、販売企画、見積書の要請、在庫欠品に伴う配送フォローなど、
業務量は次第に増えていきました。
今の時代、ブラック企業はマスメディアにはよく取り上げられる状況ですが、
当時は残業、休日出勤は当たり前の時代でした。
特に夏のお中元期、冬のお歳暮期は、更に多忙を極めました。
朝は8時から出勤し、夜は10時過ぎまで仕事をして、
独身寮に深夜帰り、それが2~3ヶ月間続き、休みはほとんどありませんでした。
ハードな状態のため、曜日の感覚が時々わからなくなる事さえありました。
先輩らに愚痴や不満を言いながらも、何とか仕事ができたのも、
私に20代の若さがあったからだと思います。
B社大阪支店時代を振り返ると、この時期が最も充実して、
先輩には何でも相談できる環境だったように思います。
ただ一方で、“ある種の吹き溜まりのような感情”も
溜め込んでいったように思います。
前述の在庫欠品に伴う配送フォロー、
愚痴や不満ともつながるのですが、
人為的ミスに悩まされたという事です。
得意先から注文を受けてから配送されるまで、
支店内の様々な部署の人達が関わります。
その間にミスがないのが当たり前と言いたいのですが、
実際の現場では、記入ミス、入力ミス、配送ミス等、人の手を介すれば介する程、
ミスが発生する可能性と不安が常にありました。
私は自分が担当している得意先の百貨店でミスが発生し、ご迷惑をかける毎に、
大きなプレッシャーを感じておりました。
自分で犯したミスは、自分でカバーするのは当然です。
しかし、それはすべての業務を自分1人でこなすという
個人経営が前提であれば、それが当てはまります。
会社という大きな組織で動くところは、業務を役割分担しないと
会社自体が機能しなくなります。
当たり前のことかもしれませんが、会社の業績を支え築いていくのは、
自分ひとりだけの力ではないということです。
その一方で会社組織によくありがちなケースですが、
“責任の所在が明確でない”、
“責任を取る人がいない”
“誰かが尻拭いをしなければならない”
結局、そんなところに行き着きます。
個人的には理不尽な想いがあるものの、
それでも会社は存続していきます。
つまり、一見矛盾に思われるかもしれませんが、
そのことの本質を私が本気で理解していたのであれば、
前述の人を介してのミスについても、私が担当者である以上、
最終的には、
『 すべては私の責任として腹をくくり受け容れる必要があった 』、
ということなのです。
でも、この当時、世間知せずで無知な私が「責任」という言葉の重みを知る由もなく、
ましてや覚悟が出来る程の度胸も恥ずかしながらがありませんでした。
今ならハッキリとわかりますが、そんな私の度量の小ささ、狭さが
後半の出来事を引き起こす起爆剤になったと思います。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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