他人と比較することの無意味
私たちは「自分らしく生ききたい」と、
いつも心で思っていても、
常にそうならない原因の一つに、
無意識的、意識的を問わず、
「他人と比較する」という行為が
あるように思います。
近い表現に「隣の芝生は青く見える」
というのがありますが、
私たちは知らず知らずのうちに、
そのパターンにハマってしまう傾向が
あるように思います。
我が家でも最近こんな事例がありました。
「ご近所で耐震工事をする家があるから、
それに関する情報が欲しい」
と家内から要請がありました。
それを聞いた時、私の中で2つの動機が
瞬時に浮かんできました。
1つは、
「我が家もご近所と同じ工事がしたい」
という“見栄に近い発想”で、
もう1つは、
「地震で死にたくない」
という“自己防衛による発想”、
いずれにしろご近所の家との比較、
つまり、「他人と比較する」から
端を発した展開でした。
この件について私は何もジャッジもせず、
最低限の対応に留めました。

「他人と比較する」を基準に無分別な
行動をしてしまうと、もし後で想定外の
出来事に出くわした時、迷妄に陥る
可能性もあります。
例えとして野球の守備で言うと、
ファインプレイは別ですが、
本来の守備範囲でない所を、
個人の身勝手な判断で、
守っているようなものです。
また、「他人と比較する」って、
自分で思っている以上に
影響を受けてしまい、
思いがけず、強固、頑固な想いへと
傾いていく、それに気づいている人は
皆無に近い程ほとんどいません。
では、私たちは「他人と比較する」について、
どう対応したらいいのでしょうか?
まず、「他人と比較する」という“自分の想念、
意識状態に気づくこと”が大切な第一ステップ
となります。
嫉妬や恨み、怒り、焦り、不安など、
仮に自分の感情に巻き込まれたとしても、
気づけるかどうかが重要な鍵となります。
気づいたら次に、“一呼吸置いて冷静になり、
心を鎮め今目の前のやっている事に
改めて意識を向けて、集中し直すこと”
を実践します。
その心が落ち着いた冷静さは、
「他人と比較する」のではなく、
客観視することによって識別心が磨かれ、
自分のオリジナリティが次第に
生み出されていきます。
今、地球上には81億近い人間がいますが、
ひとりひとり各自81億通り生き方、
信条があっていいということです。
それこそが人間がこの地上に生まれてきた
本来の目的であり、他人と比較することは
無意味な行為であり、返って遠回りの学びを
することになります。
自分のオリジナリティを大切にすることで、
それぞれの役割に応じた、“独自性、創造性の
表現へとつながっていく”ように思います。
つまり、“最適化された自分”による
“最適化された行動”が可能となります。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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