「合わせ技」に活路を見出す
坐骨神経痛から来る、しびれ、鈍痛を改善しようと
始めた運動療法も8ヶ月経過しました。
日々の努力の甲斐あって、少しずつではありますが、
その症状は改善しつつあるのですが…
ただ、仕事が終わり帰宅する頃になると、
疲労がたまるからか、しびれ、鈍痛が出てきて、
「何とかしたい!」という思いが、
日増しに強くなっていきました。
仕事を辞めようと思ったのも、
そのことがキッカケでした。
そして、第2波とも言える、
しびれ、鈍痛がピーク時が来ると、
「もう二度と戻りたくない!」、
「今の状況を改善できるものはないのか!」、
というかなり切迫した心境となりました。
同時に心のどこかで、その心境を、
むしろ味わい楽しんでいるような、
“楽観視”しているような感覚がありました。
こんな時、私たちはどうしても焦りや不安、
心配と言った、否定的な想念が出やすく
なりがちですが…
どうにかその一歩手前で抑えられ、
“ギリギリ、セーフ”という状況でした。

振り返って見ると、その足掛かりとなったのは、
ある方の話を聴いたことが“ヒント”となった
ように思います。
“ある方”とは運動療法の指導頂いている
インストラクターの方で、
その方はカウンセラーでもありますので、
奇しくも私も”同業”でありますから、
“カウンセラーがカウンセリングを受ける”、
という不思議な経験でした。
“同業”ということを過剰に意識したら、
例えば“ライバル視“の方向に行ってしまうと、
“分離感(エゴ)を生み出すこと”に繋がり兼ねません。
その一方で、謙虚で素直にありがたい、
アドバイスとして受け容れることで、
“貴重な気づき”へと繋がり、
“前進するパワーを生み出す原動力”となります。
心に一瞬の迷いあったものの、
結果として、後者の流れとなったのですが、
改めて、素直に謙虚な態度、姿勢になることの
大切さを学んだように思います。
正直なところ、それ至ったプロセスを振り返り、
「まだまだ未熟だなあ」とつくづく思い知らされ、
反省に至りました。
また、それは私にとって、
長年に渡っての課題であり、同時に、
“乗り越えなければならない課題”を
突きつけられたように思います。
今回はズバリ!
“自分の努力を認め、ほめてあげる”
“自分を素直に受け容れ、甘やかしてあげる”
これらは同じような方向性の言葉の表現で、
実のところ私にとっては、
“最も苦手とする対処法”
でもあります。
今回のケースに当てはめたなら、
自己卑下もしくは優越感と言った否定的、
分離感を伴った想念が原因で心がブレることは、
最小限に留まっていたように思います。
「悩み苦しんだ当時と比べて、
今はここまで良くなった」というように、
“ひたすら自分(本当の自分)を信じ切る”、
それを実践したことによって、
新たな一歩を踏み出すことができ、
次の段階に向けての準備へつながった
ように思います。
霊的真理の学びの師で、お世話になっている方が
よく口にされている、
「押してもダメなら引いてみろ」という
ことわざがしっくりと馴染むことができました。
さらに、インドの聖者アンマが語ってる、
神を信頼することができるなら、
あきらめる必要はありません。
ときには八方塞がりで、どこにも出口がないように
思われるかもしれません。
でも注意深く見渡せば、大きく開かれた出口が、
まだたくさんあるのが見えるはずです。
それらの言葉の後押しもあったお陰で、
目の前にあった困難な状況、
私の場合、坐骨神経痛の症状をより改善する
手段を見つけ出すことができたのです。
今回のことをひと言で言えば、
「合わせ技」という表現になるかと思います。
具体的に説明すると、
これまで実践してきたインストラクター指導の
運動療法に加え、本から学んだ運動療法を
独自に取り入れたのです。
実践した結果、数日で効果があり、
以前より症状が明らかに改善し、
現在もそれを継続中です。
今回のことに限らず、乗り越えられない”壁”と
思っていた事柄に対して、「合わせ技」という
発想を取り入れることで、活路を見出すことが
できたわけです。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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