過去には人生の進路のヒントが在る・前半

ここで、これまでの状況を振り返りたいと思います。
今回と後半を含め、これまで掲載したブログの集大成として
まとめたいと思います。

今さら自分で言うのもおかしいですが、普段の日常生活において
常にネガティブな気持ちがベースにあったと改めて思います。
これまでのブログは仕事を中心にスポットを当てていましたが、
それ以外の時間は私の場合、主に家庭生活となります。

通常は、仕事と家庭生活とを分けて考えようとするのですが、
器用な方なら可能かもしれませんが、
要領の悪い、不器用な私にとっては
非常にハードルの高い設定だったように思います。

人間の心は空に浮かぶ雲のように常に流動的、
つまり変化の連続と言えます。
そのことをしっかり正しく理解できていないと、
どうしても迷ったり悩んだりして自分を見失いがちになります。

こんな状況になると、多くの人達は焦りや不安が出てきます。
そして、できるだけ早く避けたり、逃れようとしたり、無関心を装ったり、
また簡単に解決しようとする意図へと関心が向けられ、
ますます自分のことがわからなくなってしまいます。

そんな流れ、パターンをつい無意識に継続してしまうと、
私たちは往々にして、嫌なこと、困難なこと、苦しいことなどに直面すると
人によって状況は異なりますが、従来の受け留め方や視点を変えない限り、
ネガティブな感情や印象を持ってしまいがちになります。

人生の進路に、”もしも”というのは禁句だと思いますが、
今から40年近く前の話ですが、私が高校生で大学受験を
控えていた時の事でした。

実家の祖母が、税務大学校へ進学を口にした事がありました。
その時は既に経営学部を前提に志望大学を絞り込んでいた時期で、
祖母の話は”雑音の如く”聞き入れるまでもなく断わりました。

しかし、その時のアドバイスは、もしかして”正解だったのでは”、
と後から思った出来事がありました。

数年後、妹にも適性に合った仕事を伝えていたことを知り、
“なるほど”と理解できました。
祖母は、孫の私たち兄妹の性格、性質を別の視点、角度から、
“よ~く観察していた結果の提案”だったことに気づきました。

普段、家庭の中で一緒に生活していると、慣れやクセで
ついつい流してしまいがちな事柄も年月や時間の経過で、
後になって気づくというのは、誰でもあると思います。

祖母は、私達自身で観る事ができなかった側面、
つまり、“物事を冷静に観れる、客観的視点を持っていた”
という事です。

長い人生の中で、さまざまな経験・体験を積んできたという
背景もあると思いますが、物の見方、考え方に柔軟性があり、
対応や工夫できる創造性を持っていて、それを言葉や在り方で
表現できる人だったように思います。

そのように考えたら、私の過去も、もしかしたら、
違った捉え方、受け留め方ができていたのでは、
と思うようになりました。

例えば、前出のT社長との関係においても
確かに私の当時の見方では、否定的な感情に引きづられ、
いろいろと言い訳や愚痴を書きました。

しかし、冷静に相手の立場や状況を見て、思い返してみると、
当時の私は物事を見る視野の狭さから、
自己中心的な言動を繰り返していました。

そして視野を広げて見ると、
どうやら私は“間違った物の見方、考え方”をしていた事に
ようやく気づき始めました。

一転して“正しい物の見方、考え方”を当てはめると、
T社長は、不器用で要領の悪い私に対して、
恨みや怒り、憎しみといった特別な感情を
抱いていたわけではないことがわかりました。

本音の部分では、
「私を早く独り立ちさせ、一人前にしてあげたい」という
親心のような純粋な想いがあったにも関わらず、
表現できないまま、私もそれを汲み取れなかった、
それが真実だったように思います。

今さら、自分を責めても仕方ありませんが、
ホント、私は愚か者でした。
同時に「T社長に申し訳なかった」という気持ちになりました。

しかし、その経験があったからこそ、今の自分があるのも事実なのです。
今の仕事、マンション管理員の業務内容に役に立っている、
という事です。

点検、補修、巡回といったものは、すべてのT社時代の経験が活きています。
特に、現場監督の経験から、作業員との連絡、 打合せ、
業務確認の手順は役に立ってます。

他の業務、接客や電話対応などは、
K社時代の受注や営業の経験が、
さらに清掃作業などは、実家の店で経験済みです。

その後、時代の流れとともにドンドン進化していった、
パソコン以外の業務の基礎は、この頃に培っていたのです。
つい最近、その事に気づいたのですが、正直、驚きました。

過去は正確に寸分の狂いもなく、

“今に至る正しい方向を指し示していた”

という事にです。

つまり、祖母もT社長も、私の人生の進路、方向性を示してくれた、
“善き協力者”だったわけです。

私の場合、このことを理解するのに40年近くの歳月が
必要だったのです。
私に限らず、人として生活を営んでいく以上、
家族を始め、仕事などの周囲の人間関係は不可欠です。

それは目には見えないご縁でつながっている関係でもあります。
ご縁のある人達に対して、どのように向き合っていくのか、
それは仲が良いとか悪いとか、相性が合うとか合わないとかいう、
人間の持つ思考や感情を超えた、何かが在るように思います。

このご縁のある“善き協力者”の存在は、自分の識別心がより磨かれ、
物事の本質とは何か、そして人生の進路となるヒントを見出すための
お手伝いをして頂いている、そんなありがたい方達なのです。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
ご興味、ご関心を持たれましたら、
このブログの感想のコメントを一言でも頂けたら今後の励みになります。
どうぞよろしくお願い致します。

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