使命に従い社会復帰へ踏みだした一歩 2/3

1/3からの続き

Y社の休職期間が終わり、晴れて退職?となり、
心の荷が軽くなったはずなのに、
憂うつさは続いてました。

やはり、生活、将来、健康、収入に対する不安が
尾を引いていたように思います。

幸運にも傷病手当は支給されておりましたが、
その先、雇用保険の失業手当を受けたとしても、
残り2年という期限がありました。

しかし、その間に身体を元に戻して、
仕事に就かなければならない、
というプレッシャーがありました。

ひとりで外出するのに抵抗がなかったので、
フットワークは軽かったのは幸いでした。

H精神科医院へは月に一度通院し、
H先生の診断を受け、少しずつ回復に向かっていきました。

妻との同伴をキッカケに、うつ病以外に原因はあるのでは?
という疑念に対し、H先生の紹介で京都のK大学付属病院の
児童発達障害を専門にされているO先生の治療を新たに
受診する事となりました。

私が児童発達障害の診療を受けに行く?
最初、自分の耳を疑いましたが、当時は大人の発達障害を
専門にする病院はどこにもなく、
とくかく行ってみる事になりました。

自宅から片道2時間近くかけ、
最初にその病院に着いた時、驚きました。
最新の大きな病棟が近くにあるのに、
その場所は古い隔離病棟の感じの建物でした。

確か初診は、2時間近く待合室で待ち、
O先生の受診を妻と一緒に受けました。

印象に残っているのは、
O先生が開口一番、

「その目は、うつ病ですね。」

と言われたことでした。
その後、2回程受診した後、
発達障害の症状があると診断されました。

当時、大人用の治療薬はなく、
子供用の治験の予定があるというので、
その治験を受けることになりました。

1ヶ月から1ヶ月半位のサイクルで、
治療と投薬を数回続けてましたが、
投薬量が増えるにつれ、症状の改善が見られる一方、
副作用がひどくなり、途中で治験を止めることになりました。

とは言え、私には治験は決して無駄な事ではありませんでした。
それは、私のうつ病の遠因が、発達障害にあったということが
O先生の診断結果と自分の実感で確信に至ったからです。

このことが自覚できたことにより、その後の私の方向性に
少なからず影響を与えました。

つまり、私の精神疾患の原因は、発達障害に端を発しており、
持って生まれた性質、特徴と捉えれば、
個性として発揮できるのでは、という期待感ではなく、
本当にできるという確信に近い意思表示でした。

「俺は大丈夫だ、(心は)壊れてなんかいない!」

そんな言葉が心の中から湧き出るのがわかりました。
次の瞬間、心が軽く感じられ、微かにやる気のようなものが
感じ取れました。

心の中に一筋の光が差し込み、
心が身体を引っ張ろうとしているのがわかりました。
これから先、自分の身に起こることを存分に楽しもうとしている、
閉ざされていた心のエネルギーが活性化しつつある、
その喜びと嬉しさを素直に肌感覚で感じていたように思います。

今から思うと、この感覚を忘れず心に留めることによって、
私の知らないところで次の新たなステージへの準備が
整いつつあったと思います。

『自分を心の底から信頼する』

既に人生の折返しの年代になって、
ようやくそのことに気づくことができました。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
ご興味、ご関心を持たれましたら、
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どうぞよろしくお願い致します。

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