追いつめられた心、極限状態からの学び 3/4

前回2/4からの続き

実は、Y社大阪事務所は、私が入社して数ヶ月後、
大阪市内のオフィスビルから経費節減のため、
社員寮として使用していたマンションの居室に移転しました。

畳敷きの部屋はあるし、使えない浴室はあるし、
ハッキリ言わせてもらえれば、
事務所として使い勝手がムッチャクチャ不便でした。

理由は忘れましたが、2年目の夏のお中元の時期が過ぎた頃、
M部長から、百貨店の店舗からのギフト返品を
「すべて大阪事務所で受け入れろ」
という指示が出ました。

事務所内は人が通るのも不自由する程の狭さとなり、
それはそれは大変でした。

さらに、その商品をすべて直営店に
再販しなければならなかったので、
その作業にも時間と労力を取られる事になりました。

このような仕事量が異常に増えていた状況の中、
さらに追い打ちをかけるように、
東京の病院に入院していた私の父が
危篤との連絡を受け、急ぎ帰京する事になりました。

私は妹とともに、病院に泊まり込みましたが、
数日後、父は亡くなりました。

それは、2008年の9月の出来事でした。
父の葬儀をすませ、心の中で申し訳ないという気持ちがありましたが、
区切りをつけ、後の事は弟や妹に任せて、大阪に戻りました。

ところが、事務所に戻り、たまりにたまっていた仕事に
手をつけかけたのですが、ボッーとして、
頭も手も動かない感じで、仕事ができないというか、
やりたくないという”嫌悪感”に襲われました。

実は、”このような症状が出るのでは”、
という予兆は感じていました。

万が一に備え、駆け込み寺のような相談窓口を
インターネットで見つけておりました。

過労死やうつ病について相談できるNPO法人で、
直ぐにそこに電話をかけてアポを取り、会社を休み、
担当者の方に相談しました。

その担当者の方は、たくさんの事例と相談を受けてきたため、
私のケースについても、適切なアドバイスを頂きました。

そのアドバイスの中で、光明を見出すものがありました。
それは、傷病手当と精神障害者の申請についての
お話でした。

私は全く知らなかったのですが、
傷病手当とは、会社に勤めてから1年半以上の期間で
医師から診断書が出れば、最長で1年半の間、
一定額の手当が保険組合から支給されるという事でした。

偶然にも私の場合、Y社に勤めてから、
ちょうど1年半の期間になったところでした。

早速、精神科医のお医者さんを紹介して頂き、
その診察を受ける事になりました。

自宅から電車とバスを乗り継いで、1時間位の場所でしたが、
頭の中が心配、不安、恐怖でゴチャゴチャになり、
すがる思いで、精神科医のお医者さんのところへ行きました。

この時の私の心境は、

「ついに行き着くところまで行ってしまった」

そんな想いしかありませんでした。

転職をする度に個人や家族の都合とかで言い逃れしてきたものの、
ついに逃げ場を失い、お手上げの状態にまで至った、
そのような感覚でした。

あきらめと絶望感が入り混じった、
失意のどん底まで落ちてしまったようで、
心の中には喪失感しかありませんでした。

私の人生で最悪の状態とも言える、
きつく苦しい仕事から解放されたという反動なのか、
もうこれ以上、抵抗しても仕方ないという開き直りなのか、
時間が経つに連れ、開放感や安堵感も出てきたように思います。

この開放感や安堵感がこの後、
出会う人々の優しさや親切心に触れることで、
心が少しずつ開いていったように思います。

しかし、それは決して安全で平坦な道のりではありませんでした。
当時の医師の診断書には、「希死念慮」と書かれていました。

つまり、「死にたい」、「この世から消えたい」
そんな想いが予想外の言動や何気ない行動から急に出てくる、
『とても嫌だけどそれと向き合う、そしてギリギリのところで修正する』
その繰り返しを数え切れない程、やっていました。

なぜかギリギリのところに行くと、焼身自殺した母と重なり、
あの悲惨な状況を思い出して、「死」を思い留まることができました。

「私と同じようなことをするな!」

そんな母の悲痛な声を聞き続けたように感じていました。

まさかそれが『本当の自分』を取り戻していくプロセスとは、
もちろん、この時点では気づきすらしませんでした。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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どうぞよろしくお願い致します。

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