『人生の目的』は他人から教えてもらう?・後半

前半からの続き

B社を退職してから、2年半の間、
“自分のビジョン”のためという目的で、
いろいろな経験をしました。

“自然食品のレストランがビジョン”とセミナーの代表者からのメッセージを
解釈した時は、名の知れた自然食レストランに足を運び、
採用の可否を尋ねましたが、どこの店も採用に至りませんでした。

仕方なく、外食チェーンや居酒屋のアルバイトとして店に入り、
下働きの経験もしました。
また、自然食を扱う流通業者の社員になり、
食材について学んだ事もありました。

その当時、テレビの人気番組だった”料理の鉄人”を
毎週欠かさず食い入るように見ておりました。

和食の鉄人、道場六三郎氏が要所々々で言われていた
「料理の素材を成仏させる」、
このフレーズが今だに深く記憶として残っています。

努力の甲斐あって、得意とまでは行きませんが、自分で料理を作る事や
食器洗いも苦にならず、今でも家事として役立っています。
しかし、最も重要な事は、「何のために料理をするのか」という
本質のヒントを見つけたことが大きかったと思います。

腕は素人に毛の生えた程度でしたが、
料理の素材の活かし方、手順、段取り、身体の動きなどが
わかり始めました。

どんな店を開こうかとイメージをふくらませ、期待感だけが先行していった、
そんなある日、代表者から”自分のビジョン”が変わったとのメッセージがありました。
当時の私にとっては、まさに”青天の霹靂”でした。

その” 自分のビジョン”とは、”陶芸家になること”でした。

確か私は頭が混乱し、スタッフに相談したら、
「前のビジョンと関連性があるから、方向性は正しいと思う。」
そんな返答があったように記憶しています。

また、”陶芸家がビジョン”と解釈してから、真剣にその道を
極めようと思い、大阪市内の陶芸教室に入り浸りになりました。

その当時(1990年代初め)で月1万円で、定休日以外、
朝10時から夜8時まで、自由に作陶できたので、
技術と知識を取得する上で大変ありがかったです。

集中的に、しかも長時間、通い詰めるのは私ぐらいだったため、
しばらくして、オーナーから嫌味を言われる存在になりました。(笑)

その陶芸教室の先生は、2人の日替り交代で入っていて、
ともに20代の若手の先生でしたが、それぞれ特徴があり、
その指導の元、短期間で作陶全行程の技術の取得ができたことは
ありがたったです。

ほぼ同時期、西日本中心に、美濃焼(岐阜県)、九谷焼(石川県)、
信楽焼(滋賀県)、丹波焼(兵庫県)、備前焼(岡山県)、萩焼(山口県)、
砥部焼(愛媛県)、伊万里・有田・唐津焼(佐賀県)、波佐見焼(長崎県)の
窯場まで足を運び、見識を深めました。

亡くなった母親譲りの性格なのでしょうか、一度腹を据えたら、
とことんやらなければ気が済まない、そんな気概で突き進んでいきました。
まだ、30代初めで馬力がありました。

このバイト時代、自己啓発セミナーのスケジュールを中心に考えていたため、
セミナー参加で連続した休みを取ると、会社をクビなったケースが何度かありました。
会社を辞めるのは本意ではなかったので、当時は切ない思いがありました。

まじめな性格が高じて”自分のビジョン”のためには、
ある程度の犠牲はやむを得ない、もう後に引けない、
そんな頑固なこだわりがありました。

名の通った陶芸家の本を買いあさり、自分の技術を磨こうと日々懸命でした。
料理を作りながら、食器の作陶もする。
いつの間にか、恐れ多くも、あの有名な陶芸家であり料理人の
”北大路魯山人”に憧れていました。

当然の如く、魯山人の足元にも及びませんでしたが、
“料理”と”器”の相性、盛りつけ、色彩、バランスなどの
芸術の域の感性を少しだけ垣間見られたように思います。

今もわからないままなのですが、
この当時、料理も陶芸も、その経験を通して
身体に染み込ませるように覚え込ませる、
そのプロセスが私には必要だった、
という理解で止まっています。
(このように自己探求をする時、あえて”深追いをしない”という
選択するのも1つの手段です。)

そして、今頃になって気がついたのですが、
当時は、生活自体が自己啓発セミナーに振り回されていたように思います。
それでも、私自身は変わらず真剣に取り組んでいました。

どんなに苦労しようとも『人生の目的』を知りたい、確かめたい、
そして自分のモノにしたい、そんな強い欲求、
執着を持ち続けたからだと思います。

ここまで読んで頂いたら、もうおわかりかと思いますが、
この当時、私は”自分のビジョン”と『人生の目的』を同一視していました。
今から思うと、つくづく視野が狭かったと感じる次第です。

同時にそれはB社で10年間勤務した末に、
やっとたどり着いた“大きな道標”だったとも言えます。

ただ、私が至らなかった点があるとしたら、
『人生の目的』をセミナーの代表者に委ねてしまったことでした。
心の弱さ、自信のなさ、家族を養う不安、自立していない、
それらの想いが重なったための選択でした。

「他人に自分の大切な 『人生の目的』を教えてもらう」、
たとえ高額なお金を支払って手に入れたとしても、
大切な自分の人生の選択を他人に頼っていたわけですから、
これほど愚かなことはありませんでした。

あれから四半世紀の時が過ぎ、今の私が
『人生の目的』 は常にの前に示され続けている、
それを識るのに必要な年月だったようです。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
ご興味、ご関心を持たれましたら、
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どうぞよろしくお願い致します。

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