病気やケガ、心とのつながりから学ぶ Part1

60年近くも生きていると、いろんな病気やケガ、命に関わる危機などを
数々経験してここまで来ました。

私が記憶しているものを書き出していくと、

・4歳の時、部屋の中で叔父が素振りしていたバッドが頭部に当たったケガ

・9歳の時、小学校の同級生たちに脅されて4階建ての校舎の屋上から飛び降りたケガ

・11歳の時、自転車で急な坂を猛スピードで降り、ブレーキが間に合わず、
 排水溝に落ちそうになった時、必死の想いで両足を地面につけ、
 蹴ったことで方向が変わり、落ちなくて済んで命拾いしたこと
 (もし、落ちていたら、ただのケガではすまなかった)

・38歳の時、自宅の駐車場で自家用車のバックの誘導をしている時に
 運転手(家内)がブレーキとアクセルを踏み間違えて、
 車を止めようと瞬間的に防御した右手がぶつかり指が衝撃で脱臼した大ケガ

・40歳の時、健康診断で引っかかって治療を始めた、
 「高血圧症」の生活習慣病

・47歳の時、休日や睡眠時間を削るような過重労働の末に発症した、
 「うつ病」、その後に判明した「発達障害」などの精神疾患

・58歳の夏に「前立腺炎」となり、陰茎から出血が2ヶ月程続きました。

・59歳の今年になって、腰痛やギックリ腰などの末に症状として出てきた、
 「脊椎管狭窄症」という加齢に伴う発症

これらは頭の中の記憶として印象に残っているだけですので、
忘れて記憶にないものも他に数多くあると思います。
いずれにしても、この身体や心を通して、苦しみ、悩み、迷いながらも、
避けたり、逃げたり、もしくは向き合ってきたように思います。

人によってはこのような出来事や経験を運命とか宿命とか、
そんな言葉で片づけ、うまく消化できる方もいるかもしれません。

しかし、私にとってその時は真剣で脇目も振らず必死の想いで
取り組んできたように思います。
そして、すべてが私の肌身で実感として感じたものであり、
その感覚は私以外の人では決して理解できない、
オリジナリティーの世界を持っていたように思います。

だからこそ、今このように客観的に冷静に、
その当時のことを思い返しながら、
書き記すことができたように思うのです。

ただ、ここで最も重要で注意すべき点は、
過去のこと、そして現在のことでありながらも、
その経験を通して、

何を学んだか』、『何に気づいたか』

そのようなことを識る手かがりの出来事だと
最近になって思えるようになってきました。

同時にそれは、

「なぜ、どうして、そのようなことが起きたのか?」

それを識るため、探求していくため足がかりともなります。

ところが、終わったらことだからどうでもいい、
嫌な出来事だったから思い出したくない、
もともと気にしていない、関心がない、

そのように意識的、もしくは無意識的に現実だけを見て
判断してしまう人がほとんどだと思います。

しかし、一方で自分で経験してきたことを土台にして
その後の人生の組み立てをつくり直せる可能性、ヒントも
含んでいるということを識る必要があるように思うのです。

つまり、人それぞれの向き合い方、在り方次第によって、
今までとは違った感覚で人生を組み立て直す、
修正していくことが可能だということです。

私たちは、病気やケガ、あるいは命に関わる危機と直面した時、
不安、恐怖、心配、迷いを始め、怒り、憤り、抑圧、自責の念の感情など、
“人間である限り当然の反応”として出て来ます。

そんな状況まま何もできないと思い込み、あきらめ、
見過ごしていくのか、

それとも少しでも向き合ってあきらめず、突破口を見つけ、
何とかして改善しようと努力するのか、

どちらかを意識して選択、そして行動に移していくことで
その後の人生に大きく影響していくように思います。

人が人生の岐路に立たされた時、心は大きく揺れ動きます。
そして、どんなに過酷で厳しい状況であろうとも
最終的に自らの責任で決断しなければならないことから
逃れることはできません。

前もって少しでもそのことが理解できていたなら、
いざ、そのような状況に追い込まれたとしても、
冷静になれ、心にゆとりを持てる可能性が出てきます。

「転ばぬ先の杖」ということわざがあります。
その杖となるのが、実はスピリチュアリティに根付いた行動と経験です。

もちろん、世の中にはスピリチュアリティとご縁がなく知らなくても、
また、その概念に頼らなくても、ご自身が何らかの考え方やポリシーを持って
同じような方向へ向かっていく方もいるかと思います。

ところが、実は同じように見えて前者と後者には違いがあります。
“見えないけれど何かに支えられていているような安心できる感覚、
その実感があるかないか”
、という違いです。

そのような表現をするとよく勘違い、思い違いされるパターンとして、
幽霊に取り憑かれているとか、現実世界から逃避するための口実とか、
家族をはじめ周囲の人間を信用していないとか、
というような考え、意見が必ずといっていいほど出てきます。

しかし、それらは孤独感を暗に表現しているように思えてなりません。

人によってさまざまな見方、考え方があって当然なのですが、
いつかは誰にでも共通理解できるような方向性として、
より深く突っ込んだ表現をするなら、人間の魂が本当に望んでいることとは、

人間の本来の姿は人間同士、動物や植物などの自然、地球や宇宙との
調和を通しての共存、そして共同創造していくことだ
と私は思います。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
ご興味、ご関心を持たれましたら、
このブログの感想のコメントを一言でも頂けたら今後の励みになります。
どうぞよろしくお願い致します。

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