身体のメッセージを聴く
私たちは日々、心や身体から発している
“メッセージ”について多くの場合、
気に留めなかったり、無関心でいたり、
気がついて注意ぶかく慎重になったり、
人それぞれの感覚や心理状態によって、
また、その場の状況によって異なるため、
多種多様なケースが生じることとなり、
“識別の精度”が問われます。
坐骨神経痛による足腰のしびれ、
痛みを改善するため、取り組んだ運動療法も
半年近く過ぎ、まるで月日を遡るかのように
症状の改善をつぶさに観察することで、
副次的に、心身の状態から発する
“メッセージ”について、受け取る感覚が
今までより鋭敏になったように
感じられるように成りました。
スピリチュアルを学ぶ目的の一つとして
挙げられるのは、そのような“メッセージ”を
どのように受け留めるか、
また、それを目の前の現実にどう活かすか、
どう役立てるか、自分の役割や使命、
霊的成長の糧へ結びつけるか、
という点にあります。
ここで気をつけなければならないのは、
自我意識、エゴに基づいて、
自分勝手な解釈をしてしまうと、
思いも寄らない方向や展開、結果を招くことも
ありますので、その点は十分に注意が必要かと
思います。
その重要な鍵を握ってるのが、
「どれだけ素直になれるか」
このひと言に尽きると言っても、
過言ではありません。
この“素直”についてですが、辞書的な意味では、
「ありのまま」「まっすぐ」「純真」などが
挙げられますが、それは表面的な解釈に過ぎず、
人間の意識の原点、つまり、本来の意識である、
『普遍意識』それが真実であり、本質であることを
識っている方は、現実世界では皆無と言ってもいい
状況と言えます。
逆に「識らないまま」が標準、当然、普通であり、
そのことによって社会生活に何某か支障を来すなど、
微塵も思っていないのが現状であり、
世の中も動いているとさえ思っている…
「識らないまま」ということが
「”無知”であることも知らない」、
ある意味それは“悲劇”と言えるではないでしょうか。
古代ギリシャの哲学者ソクラテスは晩年になって、
“無知の知”、つまり、「何も知らないことを知った」
という逸話がありますが、私たちはそのことを
少しでも見習う必要があるのではないでしょうか。
そういう意味でも、心や身体から発している
“メッセージ”を素直に受け留めることは、
“無知の知”それを少しずつ解消していく
行為と言えるのです。
そして、“メッセージ”には、直感、インスピレーション
といった“閃き”があり、次の行動のヒントへと
繋がることになります。
結果として、“自分の魂が望んだ方向”へと
向かっていくこととなり、時間の経過とともに、
それが腑に落とされ、確信であることを
実感できるようになります。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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