心の反応に気づく・上級編
私たちは現代社会で生活や仕事をしている以上、
「人」「事」「物」のいずれかに出くわすごとに、
少なからず、心が反応して何らかの感情を表面に
出してしまいがちです。
特に「人」、つまり、人間関係はその頻度が多い
ように思います。
その中でも顔を突き合わせる家族は、
特別で“上級編”と言えるのではないでしょうか。
普段の何気ない会話をする中でも、
時々、トゲがチクッと刺さるような
小さな憤りと受け取って、
スルーできる場合もあれば、
自分でも気づいていない、心の奥底にある
最も嫌な部分を掘り起こされ、
そこにしっかりとスポットを当てられ、
波状攻撃のように繰り返され、
忍耐の限界に達してしまった時、
とっさに感情のはけ口が見つからず、
遂に爆発してしまい、気まずい雰囲気を
つくってしまうこともあります。
また、人間である以上、心は常に動き回り、
仕方がない面がある一方、
“後悔の念、気持ちの落ち込み”といった、
言わば、“ネガティブな想念”をつくってしまう
可能性すらあります。
結局、“自業自得”と言ったら、
その通りなのですが、追い打ちをかけるように、
“同じことを繰り返している”と気づくと、
その途端、さらに落ち込むことになるのが、
とても嫌なのです。
そんな時に思うことは決まって、
「早く(この気分から)抜け出したい」
という“心の叫び”なのです。
救いとなるのは時間の経過で、
ただ、ボーッとしているのではなく、
少しずつでもいいから、
“自分の心を客観視する”ことによって、
次回、同じような場面に遭遇したとき、
相手の発言に反応してしまい、
それに呼応するように“反発する”のではなく、
今回の反省を踏まえ、ほんの僅かでいいから、
ひと呼吸、ワンテンポでもタイミングを
遅らすことで、“反発する”とは異なる、
“対応する”ことをしっかりと意識するよう
心掛けていけたらと思っています。
このことをわかりやすく言えば、
“心の気づきレッスン”
そのような表現になるかと思いますし、
一過性のものではなく、現世では生涯を通して
何事もひとつずつ丁寧に経験を積んでいく姿勢が
必須となります。
この実践が身についていかないと、
何度でも同じような出来事が繰り返し、
目の前に“お試し”として示されることになります。
個人的なことを言うなら、
私も60を過ぎたいい歳ですし、
もう“お試し”を回避、逃避するという
“廻り道”を選択する時間と気力もなく、
できるなら“お試し”を極力少なくしたい
という想いもあり、心身の状態が可能な限り、
“正面から向き合う心構え”でいます。
“心の反応に気づく”とは、
『心の変容』という繊細で微妙な変化を捉える
“地道な繰り返し作業”と見なすことができます。
それは、この世で生きている限り、
死ぬまで生涯に渡って続けていく、
また、人として最も価値のある、
人生最大の課題と言っても過言ではありません。
“気づき”、それは一夜漬け、あるいは即効で
身につくものではなく、毎日の少しずつ、
忍耐と誠実さ、丁寧さの積み重ねとともに、
時間を掛け、“じっくり熟成されていくもの”
と言えます。
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