愛犬の生と死から学んだこと Part2

私の好きな言葉に『在り方』という言葉があります。

「生き様」、「在るがまま」、「雰囲気」、
そんな表現に置き換えられる言葉ではありますが、
目で見えるようなモノではありませんから、
個人の感覚で捉えてくしかありません。

多くの場合、人間に対しての言い方となりがちで、
私の主観的で偏りがちの見方かもしれませんが、
我が家の亡くなった愛犬にも当てはまるような気がします。

そう言える根拠として、犬らしからぬ人間に似た態度や
素振りから受け留められた個人的な印象が残っていた
からのように思います。

確かに飼い主である私の「甘やかし」という行為が
前提にあったにせよ、

「傲慢さ」、「わがまま」、「自分勝手」

そんな人間にも当てはまるような行動も見受けられました。

もし、その見方を犬の立場に変えたら、
“私が舐められていた”、つまり、”主客転倒”という言い方も
できるかと思います。

しかし、そんなしつけ不足の関係のように
見られがちだったとしても、
私としては、それは愛犬の生命力、生命エネルギーの
表現の一部分だったように思えるのです。

『生きている証』

そんな言い方もできるかと思います。

つまり、愛犬にとっては”自分らしさ”
自分を素直にありのままに表現していたに過ぎない
ということです。

そこに私たち人間との大きな違いがあるとすれば、
“理由付け(言い訳)”の一点に尽きるように思います。

私たち人間はどうしても、

「時間がないから」、「お金がないから」、
「誰もやったことのないことだから」、
「他にやりたいことがあるから」、
「人目があって恥ずかしいから」など、

さまざまことが頭に浮かんだり、
つい行動する前に考えてしまう傾向に進んでしまうと、
迷ったり躊躇してしまう可能性もあります。

ところが、犬を始め本能で生きている動物たちは、
人間のようにいちいち考えたり躊躇したりせず、
直ぐに行動へと移します。

結果を恐れずに行動してしまうので、
確かに無謀と思われることもあるにはありますが、
自然界という大きな視点で観たら、
動物たちとっては行動そのものに是非という基準や判断はなく、
ある意味“幸せな状況”であるとも言えます。

私たち人間が忘れていた、もしくは排除してしまった、

“自然界との関わりや調和の重要性”

犬というペットを飼うことによって、
お互いの関係で愛情が深まれば深まるほど、
その本質的な意義を思い出す、あるいは学べる、
そのような貴重な経験をさせてもらったように
思えるのです。

そう思うと私の先生が好きな言葉、

『我以外皆我師也』

この言葉を思い出します。


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