あの世に持っていくモノ

この歳(63歳)になると親や親類縁者、他人を含め、
数々人たちを見送る葬儀の場に立ち会ってきました。

すべての人が棺桶とともに火葬され、
最後に残るのは遺骨だけとなるのですが、
それを見る度に思うのは、いつも共通していて、
ただ虚しさだけがありました。

その虚しさを味わう度に、いつも心の中で思うのは、
この世で亡くなり、あの世へ送り出された人たちは、

一体何を持っていくのだろうか?

何度もお見送りを立ち会っていく中で、
そんな答えようのない疑問が、
私の中で常に残っている状況でした。

直近では、義理母が亡くなりましたが、
悲しく虚しい気持ちになりながらも、
やはり、同じ想いが募りましたが、
答えは見つかりませんでした。

ただ、この現実世界において死んだ人が、
“あの世に持っていけないモノ”として、
誰から見てもハッキリ言えることがあります。

その筆頭がお金や不動産といった資産や、
宝石、貴金属といった形の有るものであり、
また、地位や名誉、役職といった
形の無いものですが、

共通しているのは、
“こだわり、未練、執着”といった、
我欲に基くモノばかりということです。

さて逆に“あの世に持っていくモノ”とは
何でしょうか?

そのことを普段の日常生活において
話題することは、タブー視、もしくは

奇異に受け留めてしまう傾向がある一方、

根拠不明な見解や考えを信じ鵜呑みにして、
自らの主体性を放棄してしまい、
信じ込んでしまうケースもあることから、

現時点で“あの世に持っていくモノ”について、
完璧な根拠や立証された見解や考えなどは
ないわけですから、

興味本位や単に関心を引くための目的で、
何かしらの情報を提示することが、
返って悪影響を及ぼすことに成りかねない
ということです。

では、“あの世に持っていくモノ”に対して、
アプローチする手立てはないのでしようか?

その答えは“NO”です。
唯一の方法と言えるのが『消去法』です。

つまり、“あの世に持っていけないモノ”
徹底して挙げていくことで、
最後の最後に残ったモノ、

それが、“あの世に持っていくモノ”を見出だせる
というわけです。

ここまで読まれきて、勘のいい、鋭い方でしたら、
もう既にお気づきでしょうが、

“あの世に持っていけないモノ”
“あの世に持っていくモノ”とは、
裏表もしくは隣同士という似たような関係である
ことに気づかれるかと思います。

そして『消去法』を補足する考え方が、
「答えは先に立たず」となります。

わかりやすい例えとして、
“水”を入れたやかんをコンロに置き、
着火して沸かせば“必ず熱湯になる”のは、
誰しも疑いのない流れ、展開です。

このように、原因と結果が明白であることを、
「自明の理」と言います。

しかし一方で、今の時点で、未来のこと、
つまり先のことは、誰でもわからないし、
予想すらできないこともあるわけです。

そんな確かめられないものに対して、
“保留”、または“仮定”で受け留める、
“ひと呼吸置いて考える”
という慎重な姿勢が最も大切で、

それが
「答えは先に立たず」
の本来の意味となります。

いずれにせよ、霊的真理を探求していくという
プロセスにおいては、必要なステップのひとつ
でもあります。

“正しい方向性”タイミング”
見失わず、逃さないことが肝要となってきます。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
ご興味、ご関心を持たれましたら、
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